Eタウン
2005年4月23日
大定年時代が目の前「セカンドライフ それぞれに」
団塊世代は戦中派?
「『もはや戦後ではない』というコトバが出たのが1956年。つまり団塊の世代は戦後生まれではあるけれど、戦時中の貧しい時期を体験した最後の世代でもある。彼らは企業戦士の側面だけでなく、今日紹介したお二人のように生活能力にすごく長けているんですね。この素晴らしい技術を次代に継承伝達していくのが、もしかしたら彼らの一番の役目かもしれません。逆に、ホントに危ないのは我々の世代だ」
コータリ人形
■すぐそこにある危機?!大定年時代へのカウントダウン
終戦直後の1947年=昭和22年から3年間にかけて生まれた第一次ベビーブーム、いわゆる「団塊の世代」の人たちが、まさしく一塊となって定年を迎える2007年問題も、もうスグそこに。Eタウンはこれからこの大きなテーマを徹底的に追ってみたいと考えています。
そこでまず、プロローグとなる今回は、すでに定年を迎えた二人の男性のいきいきセカンドライフを紹介します。団塊の世代の先輩達の、充実した人生設計のベクトルやいかに?!

「1947年から49年までの世代が他の世代に比べ1.5倍も多く、日本の人口の一割近くに達します」
「団塊の世代は、日本高度成長経済の原動力であるだけじゃないんだ。たとえばTVのプロ野球中継を見ながらビール飲むとか、そういう習慣を作った人たちなんだよ。『巨人・大鵬・卵焼き』っていうでしょ」
「へぇ〜〜〜そうなんですか」

■タクアン先生、地域への恩返しに奮闘す
東広島市在住の向原寛二さん(70)は、元はマツダの凄腕エンジニア。定年三年前の1991年に早期退職に応じた彼は、第二の人生をのんびり過ごすのかと思いきや、八面六臂の大活躍。「しらとり漬け」と名付けられた自家製のタクアンが人気で、地元では「名人」として知られてる向原さん、ナント、西高屋小学校の総合学習授業で4年前から<タクアン講師>として熱弁をふるっているというからオドロキです。
「小さな種から大きな大根になるんじゃいうことを通じて、子供に生きる喜びを味あわせてやれりゃあええ思うちょりますんですがの」
そんな気持ちから、自分の畑を子供達に提供。3年生の123人が、種まきから収穫まで、大根作りを体験。これがホントの「地に足の着いた教育」ですねえ。しかし、これだけじゃありません。大工仕事のほか、お寺の混成合唱団の団長を勤めるなど、「これからは地域への恩返しをしたい。カラに籠っとったんじゃぁイカンです」と意欲も満々。頼もしい〜。
「お元気ですね、というのが失礼なくらいパワフル。農業やれて大工仕事が出来たら、人間あとはなにもいらないよ。こんな人は自分の人生に自信と安心があるから、日中のもめ事なんてもんは気にならない。いやぁスゴイ指針です」

■お困りご近所の助っ人は、アウトドアの達人
一昨年、第一線を退いて、現在広島市内で電器店を共同経営しているのが、川崎 暁さん(60)。いわゆるセミリタイヤというポジションを利用して、仕事よりも趣味にウエイトを置いた生活を実践、、、したいのだそうですけど、なかなかうまくいかないのだとか(笑)。お客さん思いの彼は、連絡が入るとスグ修理に駆け付けるため、分刻みの忙しさ。なにせ肩書きが「あなたの街のトータルアドバイザー」だから、お客さんも放ってはおきませんよね。
とはいえ、そこはやはり筋金入りの自然派。十代から始めた渓流釣りがきっかけで、寸暇を見つけては海、山、川へまっしぐら。また、月に一度は次女の家族と芸北の山に入り、ウッドデッキ作りやアウトドア料理を満喫しています。
「ボクは趣味が多すぎるから定年してもあれもこれもやりたくて時間がないでしょうね(笑)。退職してからなにかを始めようという人が多いですが、あれはウソです。現役の時から広く浅くいろんなことをやっておかないと。そうすれば体も維持出来るんです」
なるほど。自然の中で学んだ彼の人生理論は、シンプルで無駄がありません。
「団塊の世代ってね、案外なんでも出来ちゃう人が多いんです」

「ボクは仕事人間ばかりと思ってました」



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